2012年11月3日土曜日

二人目【Daisuke Hirano】(前編)空回る理想

「東大卒起業家」だからと言って敬遠は無用である。平野大輔は会社員として働いていた頃、良かれと思って何にでも挑戦しては失敗していた。「理想を持って頑張ったら裏目に出た」という経験は、読者にもあるのではないだろうか。平野もその一人である。

では、理想(「こうだったらいいな」という想い)を持つ者は報われないのか?いや、そんなことはない。報われる。平野の体験を通じて、このことを一緒に考えていこう。

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平野大輔と僕は家がご近所だ。僕たちはその日、空いた時間を見つけて大江戸線沿いの駅にあるパン屋でお茶をした。ご近所と言っても顔なじみというわけではなく、会うのは二回目。二人だけで話すのは初めてだ。

平野は東大卒の起業家。と言っても、堅苦しい感じはしない。会話の至る場面で面白いことを見つけては、顔をくしゃっとさせてリラックスした声で笑う。僕たちの間の雰囲気はすぐに打ち解けたものとなり、どちらも開けっぴろげに自分のことを語り始めた。



「人生は常にネタづくりになる」との考えから、今回の取材は平野側も録画をしている。録画・配信アプリ「Ustream」を、後に自分で聞くために使う彼。ITの使い方に独特のアレンジが見える。




【二つの夢】

平野は1978年、愛知県に生まれる。学生時代は「官僚になる夢」と「起業家として”新しいこと”をやる夢」の二つを共に描いていた。

まずは「官僚になる」という夢について。

高校時代、平野は愛知県の進学校に通った。彼はその頃、「教育を変えたい」という夢を描き、教師になろうとしていた。

ところが彼の進路指導に当たった先生は、根本的なところから考える人だった。

「教育を変えたいなら教師になるのではなく、官僚になって制度自体を変えた方がいい」とのアドバイスを受けた。官僚になるために最適な道として、平野は東京大学を目指すことに。

ただし、平野の高校では、多くの先生が偏差値で大学の序列を決め、生徒の進路指導をしていたという。平野はこれに疑問を抱いていたため、もしも偏差値本位で東大を目指すように言われていたら、違う道のりを歩んでいたかもしれない。

飽くまでも、平野が東大を目指したのは、偏差値のためではなく、官僚になって教育制度を変えるためだった。

そして1998年、東大に合格。



続いては、撮影される真木の姿。

パン屋で互いに撮影し合う人たち(笑)



【米国で見たもの】

東大では、2年間の前期課程を終えた後、後期課程へ。学生は入学後1年半を経た後、各々の志望と成績に応じて後期の各専門に振り分けられる。平野は、後期で教育学部に入ることを志望。合格した。

2年の終わり頃には、米スタンフォード大 Stanford University に留学する。その前からハワイ、シンガポール、マレーシアに遊びに行っており、「日本はいかに恵まれているか」ということに気付いたという。海外への渡航は気付きを与えてくれるもの。関心が向いていた。


──米国留学したときに思ったことは?
平野「海外の学生は、将来のこと考えとるなー、と」。


彼は学生時代、サークルでの飲み会などに疑問を感じていた。「これが将来、何の役に立つのだろう?」と。だから留学先で、将来について仲間と語り合えるのは刺激的だったに違いない。

留学のための渡米だったが、楽しいトリップも経験した。勉強だけでなく、夜はお酒を持って仲間の部屋に遊びに行く。さまざまな議題について、侃々諤々(かんかんがくがく、「遠慮せずに」という意味)議論した。

大学はシリコンバレー Silicon Valley にも近かったため、企業の先端技術を見ることができた。

音声認識に秀でた企業「ニュアンス社 Nuance」では、口頭の命令でコンピューターが動くのを見た。人がPCに"Open the mail".と言うとメールが開き、"Send it".と言うとそれが送信される。

今はApple製品に搭載された音声認識ソフト「Siri」があるので、音声にコンピューターが反応することにもなじみがあるだろう。しかし、平野がニュアンス社でこの光景を見たのは2000年頃のことである。

彼はワクワクした。これは、「新しいこと」だった。

「新しいこと」「人をビックリさせること」ができるITに関心を持った。発想はどんどん広がり、「学校をつくるのもいいかな」「ビジネスも面白そうだ」と思い付いた。

なお、留学先の仲間との会話では、ビジネスの構想も浮上していた。
彼が「海外の学生は将来のこと考えとるなー」と思ったのは、こういう理由だった。


手帳術にもこだわり。時間の使い方を「Aやらなきゃいけないこと」「B投資になること」「Cどうでもいいこと」で分けて記録している。



【落としどころは「就職」。しかし・・・】

大学3年の頃には「官僚」の夢のために国家試験対策を始めた。しかし、米国での刺激的な経験があったので、いまいち勉強に身が入らない。

やっていたことは、色々な社長、起業した先輩、イベンターと会うことだった。僕にとってはこの時点で、「起業家」としての夢に完全に傾いている気がしてならない。いずれにせよ、そういった人たちと会うにより、ますます国試対策をつまらなく感じたという。

大学3年の秋に再度渡米。スタンフォード大学の仲間たちと会う。彼らが以前話した構想は、すでに前進していた。

そして帰国。日本の学生にはそういった構想など見受けられず、平野はまた落胆した。

ただし平野も、「学生のうちに起業するのは無理」と考え、就職活動を始める。ただし、起業のために勉強するつもりで就職することにした。

面接では「ゆくゆくは起業します」「3年で辞めます」と明言。1次試験までに落ちまくったが、内定は1社獲得した。どうやら、企業側にとっても平野の採用は「賭け」だったらしい。

起業のために勉強すると決めて入社した3年間、懸命にやって収穫を得ようと決めていた。鼻息を荒くし、何でもトライしていたという。

平野は当時のことを「今にして思えば、自分でも甘かったと思う」「”自由”の意味を勘違いしていた」と語る。

それでも、自分の提案が「あ、平野のかぁ」と言われてきちんと吟味されず、ほかの人が出した同様の案は通るということがあり、歯がゆい思いをした。失敗を重ね、自信もなくなっていた。

ここからは僕の私見になるが、理想だとか企業の改革だとかは、従業員に求められていないケースが多い。そんなことを考えるよりも、決められた仕事をこなすことの方が従業員には求められている。僕はそう考えている。


では、仕事に理想は邪魔なのだろうか?


この点については後ほど明らかにするが、平野は人の理想(=こうだったらいいな)を応援することを今は仕事にしている。彼自身、「本人が本来やりたいことを生かす」というやり方で、自分の理想の「教育」を実現している。

「会社で働くこと」以外にも仕事のやり方はあり、やり方次第では、「理想を求めること」との相性が極めて良くなる。必ずしも、会社勤めでは理想を追求できないということではない。だが、他の仕事の仕方も考えると、可能性は広がる。

「理想」と「仕事」の融合は、可能だ。


(取材・執筆=本文の文責は真木風樹にあります。筆者である真木風樹と、取材対象者である平野大輔氏以外による無断転載・使用はお断りします。転載・引用の際はご一報ください)。

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