三度の震災と豪雪を経験した農家がある。新潟県にある「フェアリーズ・ファーム(FAIRY'S FARM)」だ。
同ファームは2月23日の豪雪を受け、機械を格納していた倉庫が倒壊。トラクターなどの機械1600万円相当が損傷あるいは壊れて使えなくなった。
倉庫はこれに先立ち新潟県中越地震(2004年)、新潟県中越沖地震(07年)、「3.12」(3.11翌日の地震)にも見舞われてきたが、それらによる損傷や磨耗も蓄積していたと思われる。
ファームを支援する有志は、小屋の撤去作業に必要な費用の募金を呼び掛けている。
【雪国】
まずは、現場がどのような場所なのかについて。
同ファームは新潟県の中魚沼郡津南町にある。「魚沼産コシヒカリ」の魚沼である。同県の最南端に位置し、長野と県境を接している。自然が豊かで、山道をドライブしていたらキジが出た。
降雪期間は長く、ファームの代表によれば、11月には「いつ降ってもおかしくない」状態になり、なくなるのは5月のゴールデン・ウィークの頃だという。また、積雪の高さは2階の窓から雪が見えるほどだ。これはたとえ話ではなく、3月8日の時点で、代表宅の窓と同じ高さに雪が迫っていた。家の玄関にはスキー道具が置いてあり、子どもは草野球にでも行くかのようにスキーを滑りに行く。
【早河代表】
代表の早河聖光氏(以下、敬称略)とは、早河の友人を交えて新潟県十日町のカフェで対面した。雪焼けした顔に微笑みを浮かべる早河。私の目には疲労と悲しみが滲んで見える。話し方はナレーターのように落ち着いている。語尾がすっと解ける語り口だ。
早河の友人が去ったところで、私たちは二人で事故現場に向かった。また今回の取材では、早河宅に泊めてもらい、農園での作業も見ることになる。本ブログは「発言内容はそのまま掲載する」という方針だが、今回の取材に際して私は、発言は何度でも、気持ちの通りの表現になるまで言い直してほしいと伝えてある。「そのまま掲載する」という方針は変わらないが、言葉を額面通りにとらえて内心と違うことを書くのは避けなくてはならない。
早河は電通子会社のイベント事業部に勤めていた。渡米したり、ガーデニングの設計•施工をしたりした時期を経て就農。新潟県の新規就農者への研修を受け、29歳のときにユリ切り花農家として独立した。
ユリ農家を始めたきっかけは、昼寝中に夢でユリを見たから。目の前で開花したユリが美しかったのだという。
田んぼも少しだけ始めた。しかし、研修では習っておらず、「あささ、田んぼどうやって作るんだい」と困った。師匠に聞いたら「隣のじいさんと同じことしれ!」と言われ、「えー!」と思ったと笑いながら語る。
それでも3年後には、ユリは初年度の3倍、田んぼは10倍の規模になっていた。5年で達成する計画を3年でクリアしたため、県から農業後継者として認定された。周囲からは「東京者(もん)が3年でやっちまった」と評価された。
妬まれることはあったか?
「あ!ったよ!」
肥料を盗まれたり、貯めた水を捨てられたりしたこともあった。それでも、早河は「意地悪されるほど大きくなったんだ」と考えた。
早河は毎日3:30に起き、4:00に家を出る。農作業して21:00に帰宅する。これをほぼ無休で続ける。5時間の休みが取れる日が10日あれば良い方だという。身体への負担が大きい仕事だが、早河は自らを肉体労働者ではなく「アスリート」と呼ぶ。農作業の合間やオフシーズンにジムに通う。これにより動きが変わってくるのだという。
早河は就農したときから、人の3倍努力すると決めていた。
「フェアリーズ•ファーム」の由来について。これは、作物には妖精が宿っているという考えからきている。早河がある人から、「周りに妖精がいっぱい飛んでるね」と言われたのがきっかけだ。
同ファームではユリ、コメのほか、夏イチゴやシイタケも扱っている。早河の魚沼産コシヒカリのご飯をご馳走になったが、本当に美味しかった。冷めると、冷めたときの味わいがある。イチゴのゆべし(柚菓子、写真参照)も、もちもちした食感でいける。
【早河と夏イチゴ】
早河がイチゴを始めた経緯は不思議な偶然で溢れている。
早河は数年前、福島から津南に来たイチゴ農家から一時的にイチゴを預かった。まだ自分が扱う気はなかったが、その農家から食べさせてもらった夏イチゴの美味しさに驚いていた。その農家は結局、福島に撤退。「夏イチゴに興味ないですか?あるなら、プランターを安くお譲りしますよ」と告げ、早河の手に渡ることになった。
市場関係者に話を聞き、栽培困難だが高価であることを知った。その関係者からは「目ざといな」と言われた。彼の子会社が、夏イチゴの栽培をしているのだという。半ば成り行きで預かったのが始まりだったが、すごいものを選んだようだった。
早河はそれより前から、「何か生活に余裕が出る産品を」と探し求めていた。稲やユリが拡大するたびに、ファームの規模は大きくなるが、早河は自由な時間を削ることに。管理が行き届かない部分も出てイライラしはじめ、家で子どもに辛い想いをさせたこともあったという。
また、数年前から「機械に頼らずやっていけるようにしよう」という判断もしていた。稲、ユリは機械に頼る。イチゴについてはそれはない。
こうしてイチゴ栽培も始めることになるわけだが、さかのぼると、「子どもについたホラ」が現実になったのかもしれない。息子がホームセンターで購入し、表で育てていたイチゴが鳥に食べられた。しょげる息子に、「お父さんがハウスで育ててあげるから!」と言ったのだった。
そして今、本当に夏イチゴを扱っている。
品種名は「ティンカーベリー」である。
【事故を受けて】
事故当時からここまでの状況を伺った。早河は事故のことを知った際、「困った」「どうしよう」などという前に、冷静に気持ちを保つことを優先し、現場に向かった。
現場を見てまず取った行動は、二次被害を防ぐこと。崩壊した倉庫が道路の方に倒れれば、通行人や車両に被害を出すことになる。自分の機械の心配よりも、人様に迷惑がかからないように、という方が先だったという。
それから、である。二次被害の可能性をなくし、それから、機械の上に乗っているものをどかす段階になってようやく、機械の心配をしはじめた。
もう使えなくなった機械があった。機械の「安否」が分かってからようやく、辛さを感じはじめた。
これより前にも、自然災害によるショックを受けることは何度もあった。2012年9月17日、風速15から20mの強風が丸一日吹き付けた。ユリのつぼみがスレて傷み、約1万3000本、300万円相当が商品にならなくなった。2時間前までは風なんて少しもなかったのに!
自然災害について、農家が受けた被害に補助金は出るのか?
「ものすごく大きい範囲なら、考えられるというレベル。個人では容易には出さない」。
それにしても、強風でユリが損害を受けた一件は、自然災害の中でも特に辛さを残したものだったという。早河はユリの件で、「農業続けていけないかも」と思いながら、それでも頑張っていた。そのときに起きたのが、倉庫の崩落だったのだ。
【予防はできたか】
今回の事故を予防する機会はあったのか。これについて、早河は次のように答えている。
確かに、屋根に積もった雪をどかせば予防はできた。ただし、今までの何十年という経験から、「98%くらいはノーマークでいい」という判断をした。ものすごい大雪ならば「大丈夫かな」と見に行ったが、そうではなかった。本来ならば、(屋根からずり落ちて)抜けていく量の雪だったと判断した。
早河は「これをもって過信と言うのでしょうか」とする一方、「(予防の機会があったかと言えば)全くその通り」だと述べた。
私の目には、「弱った被災者」ではなく、「責任を自ら引き受ける事業主」に見えた。
【最後に】
早河はこの事故より前から、機械に頼らない農業を目指していた。それにのっとった品目が夏イチゴである。私が取材した時点では、「今まで経営の20%だったが、100%に近付けようかと思う」と語っている。
見方によっては、機械に頼る形から移行する流れの途中で、今回の機械倉庫崩落が起きたとも言える。痛手だが致命傷を避ける経営判断を、あらかじめ取っていたと考えることもできる。
事故の後でも、早河は他の農家に学びに行くことや、家族および出会った人に思いやりを持つことを忘れてはいない。将来的に、復旧どころか事故前よりも良い商品を作り/造り、より多くの人を笑顔にすることはあり得る。私はその可能性は高いと見ている。
ただし、これからまた頑張る前に、ガレキの撤去で資金的な助けを必要としている。
(取材・執筆=真木風樹。本文の文責は真木風樹にあります)。







